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2012.03.22 Thursday

土佐二宮 小村神社

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    地図

     
    御祭神
    御祭神は、『国常立尊』(くにのとこ たちのみこと)
    神名の「クニノトコタチ」は、国の床(とこ、土台、大地)の出現を表すとする説や、
    国が永久に立ち続けるの意とする説など、諸説あります。
    日本書記のなかで最初に現れる神であり、本書によれば、太古、天と地とは分かれておらず、互いに混ざり合って混沌とした状況にあった。
    しかし、その混沌としたものの中から、清浄なものは上昇して天となり、重く濁ったものは大地となった。そして、その中から、神が生まれたのである。
    国土形成の根源神、国土の守護神として信仰されており、国家安泰・立身出世、家内安全・五穀豊穣・諸祈願に御利益のある祈願成就の神様です。

    御神木・牡丹杉

    牡丹杉(燈明杉)は、小村神社の社殿の背後にそびえ立つ樹齢600〜1000 年約800年と言われ、高さ31.5m、幹周り8.1mで、
    下枝は杉の葉であるが、中程より上は牡丹の花の形に似ている葉をつけています。
    伝説によると、仁淀川の大氾濫の夜や大地震の前夜、日露戦役の時など何か異変のある時、
    杉の梢に大きな霊火が爛々と懸かったそうです。
    また宝永の改築の際、杉の下枝が邪魔になり切る予定だったが、
    翌日工事に支障がないように枝が上がっていて神慮の尊さを感じたと言われています。
    皆を幸せにみちびく牡丹杉をデザインしたお守りがあります。

    御神体・宝物について

    国宝

    御神体は金銅荘環頭大刀拵・大刀身(こんどうそうかんとうのたちこしらえ・たちみ)

    県内でも3 つしかない国宝で、毎年秋の大祭(11 月15 日)でのみ拝観できます。
    長らく社殿の奥に秘蔵されていましたが、昭和30 年に研究者の熱意でそのベールを脱ぎ、7 世紀前半(800 年代) の御神体とされました。
    翌年に文化財指定・昭和33 年に国宝指定されています。
    見事な直刀で、この種の大刀は、後期の古墳から発見されますが、千数百年も社殿に伝世されていた例は全国的にもありません。
    非常に良く似た大刀が、島根県朝来市のかわらけ谷横穴墓より出土しており、1400 年前のものとされています。
    古来から人々の交流があったと思われ、定かではないが島根県に小村(おむら・こむら) という
    名字が多い(県で61 位・全国平均は1018 位)のも、交流の結果に関係しているのかもしれません。

    国指定重要文化財

    木造菩薩面・二面

    約1000 年前の平安時代後期の様式で、材質は樟(くす)で神仏習合時代の歴史を伝える貴重なものです。
    温和な面相は、古代ギリシア美術から通ずるアルカイク・スマイルを思わせます。
    昭和30 年に重要文化財指定されました。

    県指定有形文化財

    仁治・貞和の棟札(むなふだ)

    社に伝わる仁治(にんじ)元(1240)年【770 年前】と貞和(じょうわ)三(1347)年【663 年前】の
    棟札(建築・修築の記録・記念として書かれた札)に、国衙(こくが)が宮の造営にあたっていた記録があり、二宮として尊重されていたことが知られています。
    2000年3月に県の文化財に指定されました。

    蓬莱鏡
    円形と四角形の鏡で 康安2年(1363年)と書かれています。
    巨岩に松・砂浜・鶴・亀・流れる雲など、蓬莱文様が描かれており、御神鏡として大事にされてきました。


    その他
    木造菩薩面・後奈良院和歌短冊・須恵器や壺・銅鉾・小野道風の書と伝えられる堅額
    ・36歌仙の板絵(残存9枚)などが村の文化財として指定されています。


    建物について

    現在の社殿を建造は、江戸時代前期(1705年)
    本殿が出雲形式の流造(ながれづくり)
    拝殿(はいでん)幣殿(へいでん)は中央部に高屋根をもつトンボ様式
    土佐神社の1/4 の大きさ(高知県美術誌による)
    本殿は、柱の下に虫除けの鉛を敷いてあり、多くの柱で地震対策をしています。
    菊の紋(十六葉、天皇の紋)・桐の紋(皇后や皇室をあらわす)があり、下に二つ山内家の紋が入っています。

    小村神社の歴史

    沿革
    日本の歴史書、日本三代実録(901 年完成)に、870 年に『小村神社に従五位上を授ける』と記事がある、国史現在社(こくしげんざいしゃ)です。
    (国史現在社とは古代日本の律令国家が編纂した6 つの一連の正史である六国史のなかに名前がある神社のことで、古くからの歴史がある)
    六国史:日本書紀・続日本紀・日本後紀・続日本後紀・文徳実録・日本三代実録 (720 年〜901 年に完成)
    約1800 年前頃とされる銅鉾(どうほこ)が御神木の根元より見つかり(平成7年)
    神社創建以前から、土地の祭祀が行われた特別な場所であったと考えられています。
    社に伝わる二つの棟札には、国衙(こくが)が宮の造営にあたっていた記録があり、二宮として尊重されていたことが知られています。
    社宝には、弥生時代から中世にわたる多くの文化財があり、篤い信仰に支えられた歴史を感じます。
    一の宮の土佐神社に並び土佐人の崇敬深い神社として人々の信仰を集めています。

    年表
    約1800 年前頃(神社創建前)とされる銅鉾(どうほこ)が御神木の根元より見つかる(平成7年)
    1424 年前 用命天皇2(586)年に 神社 鎮座・創建
    7 世紀前半(800 年代) 金銅荘環頭大刀(こんどうそうかんとうのたち)を御神体とする
    宝永2 年(1705 年)現在の社殿を建造
    40 年前 昭和45 年の台風で千本杉がかなり倒れ、桜・ヒノキなども植えられる

    年中行事
    春祭 (祈年祭) 3/7
    夏祭 7/20
    秋大祭 (例大祭) 11/15
    新嘗祭(しんじょうざい、にいなめさい)12/14

    全景、周囲のなりたち
    千本杉

    社殿までに3つの鳥居があり、一の鳥居の国道近くが駐車場となっています。
    鳥居をくぐると、約250mの千本杉と呼ばれる表参道が続き、かつては、巨木がうっそうと茂る杉並木であったそうですが、約40 年前 昭和45 年の台風でかなり倒木し、その後、桜・ヒノキなども植えられました。
    現在は、桜はほとんどなくなり、名のごとく、杉の参道が戻りつつあります。

    古代の人々のメッセージ
    神母遺跡、千本杉遺跡、宮ノ内遺跡
    神母樋門から、日下川の上流の方を向いて両岸が弥生時代の集落跡の可能性がある神母遺跡(右側)、弥生から古代、近世までの集落跡の千本杉遺跡(左側)があります。
    小村神社の境内の中には中世の須恵器、鉄鏃(鉄のやじり)が出土した宮の内遺跡もあります。

    摂社
    摂社(せっしゃ)とは神社本社とは別に、その神社の管理に属し、その神社の祭神と縁故の深い神を祀った神社のことで、小村神社には3つの摂社があります。
    仁井田神社

    御祭神:山祗神, やまつみのかみ, 山を司る神。 林業関係の守護神 ・ 他五柱
    御利益:出世の神・商売繁盛・五穀豊穣・福徳円満交通安全。山林農産大量の守護神

    剣神社・秋葉神社


    剣神社
    御祭神:曽我五郎・十郎
    由緒・御利益 曽我五郎ゆかりの霊験あらたかな太刀を里人によってまつりあげ神体となす
    日高物語・土佐物語に、背のぼりの太刀の伝承があります

    秋葉神社
    御祭神 大己貴神(おほなむちのかみ:大国主神(おおくにぬしのかみ: 大国を治める帝王の意)の幼名。
    御利益 病気平癒(へいゆ)・他 主な祭神のほか、伝承によると秋葉神社より御分霊を戴きて合祀。
    防火の神として氏子は崇拝しています。

    地理的要因
    地質的に見ると、小村神社・千本杉があるこの地域は、自然堤防堆積物の上に成り立っています
    太古から氾濫・洪水を繰り返してきた仁淀川の堆積物が自然堤防堆積物として、周辺より少し高い微高地を形成しました。
    この微高地は水はけがよく、洪水時に浸水する心配が少ないことからこの地に神社が作られたものと思われます。

    伝説・民話

    瀬登太刀古記(下分地区・小村神社蔵)
    小村神社には瀬登りの太刀の古記が伝わっている。
    古記によると瀬登りの太刀は以前小村神社にあったようで、
    現在、高知市比島の龍乗院にある瀬登りの太刀の実物と同じサイズの写しが描かれている。


    また伝説によると、それは仇討ちで有名な曾我兄弟にまつわるもので、
    「源頼朝が刀をほしがったので、箱根の別当(曾我五郎の師匠・日高村大和田出身)が
    刀を持って逃げているとき、宿の主人がそれを盗もうとしたが、刀は自ら川に入り、蛇になって川を溯った」とか、
    「伊野の波川玄蕃が仁淀川で舟遊をしている時敵に襲われた時、
    太刀が大蛇となって川の鵑鯏个蝓敵を追い払った」などといわれている。


    子育て狸
    日下の千本杉にある「小村様」という神様の近くで馬次さんという人がお店をしていた。
    ある晩、遅くに女性が飴を買いに来たが翌朝になると女性に貰った金が全部シバの葉になっていた。
    次の晩にも買いに来て翌朝見るとシバの葉になっていたので近所の人に相談すると、2、3人の男が正体を見定めようと店で構えていた。
    女性が飴を買いに来たので後をつけると裏山に行き、ある場所まで行くとパッとその人が居なくなった。
    灯りを付けてみると親狸が死んでおり、その傍らで子狸が店から買った飴を食べ散らかしていた。
    これは母狸が子供の為に毎晩飴を買いに来ていたのだと思い、子狸を連れて帰って家で飼うことになったそうだ。

    コラム:その他の高知県の2つの国宝

    古今和歌集巻第廿(高野切本)(こきんわかしゅうまきだいにじゅう)
    平安時代の作品で、妻山内一豊の妻千代のゆかりのも
    高知県蔵・土佐山内家宝物資料館保管 本物は年1回の展示期間中に展示
    高知県高知市鷹匠町 (財)土佐山内家宝物資料館


    大豊町の豊楽寺(ぶらくじ)の薬師堂
    平安時代末期建立の四国最古の建造物


    コラム:曽我五郎・十郎の仇討ち
    赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つである。
    曾我 時致(そが ときむね、(1174‐1193 年))は、鎌倉時代初期の武士。
    曾我十郎祐成の弟。曾我五郎とも称される。
    3 歳の時、実父河津祐泰が安元2 年(1176 年)に一族の工藤祐経(すけつね)に暗殺され、その後母の再嫁先である相模国曾我荘(現神奈川県小田原市)の領主曾我祐信を養父として兄祐成とともに養育され、曾我氏を称した。
    元服後は北条時政の庇護の下にあったという。
    建久4 年(1193 年)富士の巻狩りが行われた際、兄祐成とともに父の敵工藤祐経を殺害し、兄は仁田忠常に討たれ、時致は将軍源頼朝の宿所を襲おうとしたが捕らえられた。
    翌日、頼朝の取調べを受けた際、仇討ちに至った心情を述べて頼朝は助命を考えたが、
    祐経の遺児の要望により処刑された。

    コラム:神社作法
    正しい参拝方法を知ることは神に対しての敬意を表すのに必要な事です
    参道:神社の入り口には鳥居があり、その鳥居をくぐって、参道へと入る
    このとき、軽く一礼する。これは「一揖(いちゆう)」と言う
    参道を進むときは参道の中央を避けることが望ましい。
    それは、参道の中央を「正中」といい、神様が通るところとされているからです。
    手水舎(てみずや・ちょうずや)
    1.右手でひしゃくを取って、水を汲み、左手を清める
    2.左手にひしゃくを持ちかえて、右手を清める
    3.右手にひしゃくを持ちかえて、左の手で水を受け、口にいれてすすぐ
    4.すすぎ終わったら、水をもう1度左手に流す
    5.使った柄杓を立てて、柄の部分に水を流してすすぎ、元の位置に戻す
    参拝:まず、一揖し、お賽銭を静かに入れ、鈴があれば力強く鳴らし神様に自分が来たことをこれで知らせる
    【この鈴を鳴らす布綱のことを、鈴の緒(スズノオ)と呼ぶ】
    「二礼二拍手一礼(二拝二拍一拝)」を行う
    「二礼」 神前に向かって、二回深くおじぎをする。背中を平らにして、腰を90 度折る。
    「二拍手」両手をのばして手のひらを合わせてから、右手を少し後ろへ下げます(理由はコラムへ)
    肩幅ほどに両手を開いて、柏手を2回打つ。
    再び、両手をあわせ、揃えて祈念をこめてから手を下ろす。
    「一礼」 再び深くおじぎをします。
    作法では最初と最後に「一揖」加える。
    ・拍手をうつのは神様を呼ぶためではなく、自分が素手で何の下心もないことを神様に証明するためのもの
    相撲の拍手も理由は同じ

    コラム:拍手で右手を後ろに引く理由
    その理由には諸説あり、ずらした方が、良い音が出ることも事実ですが
    簡単に言えば「左手は神、右手は人を表すので、上下の区別をするため」とのこと
    これは左は火足(ひたり)であり、陽であり、霊(ひ)です。
    右は水極(みぎり)であり、陰(つき)であり、体(身)です。
    両手を合わせるのは陰陽の結合と調和で、右手を少し手前に引き陰が1 歩下がる。
    つまり霊主体従(れいしゅたいじゅう)を意味するものです。

    手を打ち鳴らすは天地開闢(てんちかいびゃく)の音霊であり、天の磐戸開きです。
    祈るとき、そこに天地が開け、磐戸が開き、光明があふれでることを意味します。
    拝をするのは身をかがめ畏まることで、至上のものに対する畏敬の念の表現でもありますが、同時に、地に垂直に立つ足と、地に平行に屈した上半身は、
    それぞれ縦に伸びている火の気であり、横に流動する水の気であります。
    火と水の交合した姿、即ち「火水」かみ、となって、大宇宙的存在たる親神にまみえるわけです。
    このように2拝2拍1拝の作法には大変意味の深いことなのです。

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