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2012.03.23 Friday

日高村の地名

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    出典:「土佐の地名」(土佐史談会)よりの抜粋が、
    仁淀川流域交流会議の仁淀川財産目録 のHPにて紹介されています。

    日下の地名
    ◆くさか(日下)
    下分に鎮座する小村天神は日下村の総鎮守。国宝の環頭大刀を秘蔵する国史見在社として古くから重んじられてきた。
    この小村天神を中心に日下之別府(べふ、別の宮符)荘園は開発されたのであろう。日下村史はいう。
    「日下諸ニ多シ皆、仁徳天皇の皇子日下ノ王ノ子代民ヲ置カシタル部落ノ跡ナルガ如シ」。
    これは「高知県歴史年表」の「吾川郡(後、高岡郡)日下郷ニ小村天神を祀る。二宮とする」の投影したものであろうか。
    二ノ宮に対する従五位上の贈位は、村落支配の補強工作とみられる。
    小村天神の祭神は、天武天皇と女帝持統天皇のあいだに生まれた草壁皇子。
    その御名代(みなしろ、ミは接頭語)が日下之別符荘園だった。
    皇子の私有地というわけ。「くさかべ」の地名は、岡山県3,愛知県2,兵庫県、鳥取県、香川県、熊本県などに各1ヶ所ずつ現有する。
    進出先だろう。日下部(くさかべ)の部は、代民(しろたみ)つまり部落の部にほかなるまい。

    ◆いもせ(妹背)
    地検帳の記載に「イモセ宮ノ前。イモセ名、イモヤ太夫、イモセヤシキ」などがみえる。
    小村天神ゆかりの二柱を祀った妹背宮の名残であろうか。
    「わがせこを大倭へ遣るとさ夜更けてあかとき露にわが立ち濡れし」(万葉百歌)。
    大津皇子の姉の歌らしい。上代、女の兄弟の側からみて男兄弟を「せ」と呼び、男の側からみて女兄弟をすべて「いも」と呼んだ。そういう意味の「せこ」だから姉が弟の身を心配した歌ということになるが、妹背宮の場合は妻をさしたのだろう。
    「妻を称ひて妹と偽るは、盍し古の俗か」といわれ「せこ」の意味するものは単純なものではなかったらしい。
    現代の夫婦、「夫」と「婦」についてのべよう。漢字の夫という字は、大の字型の人間が頭の所に一線を加えて冠をかぶったさま(またはマゲをゆったさま)を示したものであるという。
    婦は、女プラス帚の組み合わせで成る。
    年中お掃除に追いまくられているので、祭壇を清めるハケが付いた。婦−付−服−伏−副とも近く、言うなれば婦というコトバは、夫に体をすり寄せひたと離れず付いているよき伴侶、そう説かれる。
    宿毛市沖ノ島の古名、妹背島のロマンスに関しては今昔物語をみてほしい。

    ◆とかじ(戸梶)
    戸梶家の系図に次のようにみえる。「日下村之内戸梶部落に浪居数代ニテ佐川深尾氏ニ仕官シ斗賀野村エ住スル故ニ戸梶ト改姓シ代々居住・・・・・」。
    トガ(栂)の木の所在を苗字にしたというのだろう。苗字は多くの地名によるといわれる。

    ◆たふく(田福)
    日下川の流末、右岸山手のムラ。「置奈分、タフク」(地検帳)とみえる十三筆六反三十二代でなる。
    深田ではないが上田だと作人はいう。田とフクジの合意による田福であろう。
    「誠に王気相応の福たるにや」(神皇正統記)とあり「フジヂ、肥沃なる土地」(日葡辞書)とある。川ぞいの肥えた土地を奄美大島ではフクジとよぶ、「フクはただ水のほとりの意であったかもしれぬが、水田を拓くことができるので福地と今は解せられる・・・・・・愛知県豊橋市の神明宮の正月行事には、福地方(ふくじかた)と乾地方(かんじかた)にわかれて年占が行われ、同県の西部あたりでは、クロフクジの作は上出来といわれる」。タフクは、上田の呼び名とみてよかろう。

    ◆えじり(江尻)
    そのかみの「日下之内江吊村」で日下川の流末を意味する。鎌倉の初め富士の裾野で父の仇を討ち、捕らえて殺されたという曾我五郎が肌身につけていたという大刀を祭る神跡が残る。
    瀬上りの異名をもつ小刀は細身の護身用、鎌倉初期を下らぬ名刀と鑑定されたといわれている。

    能津の地名

    ◆のつご(野津子)
    地検帳に「ノツコノ森リ内外かけて、能津ノ村、下山畠ヤシキ、能津左兵衛居」。
    ノツゴの類名は多い。「あしひきの谷山こえてノヅカサ(野豆可佐)に今は鳴くらむうぐいすの声」。
    山部赤人は詠んだ。−野阜(のづかさ)や一と株の茶の花ざかり−作句もされた。
    ノツゴの森は、野原にある小丘。野をつかさどる野神の在所でノツカサ−ノツゴと転じたように思われる。
    原野をひらくにあたり、まず抱かれた野神に対する心情に牛馬の息災を願うこころが結びついた民俗のあらわれであろうか。
    京都の祇園社、八坂神社祭神とされているゴズテンノウ(牛頭天皇)は、もと祇園精社の守護神といわれ薬師如来、さらにスサノオノミコトのすいじゃく(神の仮の姿)とみられる。
    能津を名のる家名や村名じたい、ノツゴの宮の別名「能津天皇」に起こると考えられないだろうか。

    加茂の地名
    ◆いわめじ(岩目地)
    「ほら、あそこに岩がありますろう。あれですらあ」。年輩のお百姓さんが説明してくれた。
    立岩信仰にもとづく岩目地(南路志)だなと思った。「つらけれど人にはいはずいはみがた怨みぞ深き心ひとつに」(宇治拾遺)。
    石見国(島根県)の石見潟は、岩礁が多く、イハミ(岩海)になったといわれる。
    イワミジ−イワメジの変化であろう。

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