2012.03.20 Tuesday

三ノ塀(福良古城)城跡

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    地図

    三ノ塀城という名前から、土塀が三重に取り囲んで作られた城郭ではなかったかと推測されています。
    また、三宮氏の葛懸城の出城ではとも考えられています。
    2012.03.20 Tuesday

    葛懸古城跡

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      地図

      葛原神社の東側の山には、「葛懸古城跡」があります。
      資料によれば1320年に三宮氏によって築城されており、城跡は、高さ160mのところにあり、所々に石垣があります。
      また、神社の南側のこんもりとした山も、戦国時代の城跡(石鎚城跡)があり、葛懸城の出城ではなかったかと考えられています。
      2012.03.20 Tuesday

      葛原神社

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        地図

        奥の谷の産土神(うぶすながみ・・・生まれた土地を守護する神)で
        若一王子葛原権現という名前の神社だが、明治元年政府の神道国教化政策、神仏分離政策によって、葛原神社(かづらはらじんじゃ)と改称されました。
        お祀りしている神様は、稲穂の神様で、正哉勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほのみみのみこと)といいます。
        この神社のご神体(神の霊の宿ったもの)は、御正体類(みしょうたいるい)と呼ばれている6枚の鏡。これは、高知県の有形文化財となっています。
        この神社の近くには、「葛懸の飛瀑(高いところから流れ落ちる滝)」があり、この滝は、権現滝、白滝ともいいます。
        山上の水源が乏しいので、ふだんは空滝の状態ですが、降雨の後は飛瀑が壮観を表し、はるか遠くの土讃線列車からも旅人の目を楽しませたとのことです。
        2012.03.20 Tuesday

        観音堂(馬頭観音)

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          地図

          この観音堂には「馬頭観音」という観音様(仏像)が祀られています。
          「馬頭観音」は怒った顔をしていて、頭の上に馬の頭の冠をのせています。
           悪い心や悩みを追い払ってくれる観音様だが、馬も守ってくれると言う事で、よく馬を飼っている人がお参りに来たそうです。
          また、この観音堂の周辺には、高知城から西に向かう時の初めての橋がかけられており、交通の要所でした。
          昔は、この橋を通るときに通行料金を取っていたそうです。
          ちょうど観音堂の近所には宿舎もあり、旧暦の7月17日には、毎年お祭りをしていた。この周辺は店などがあり、にぎやかだったそうだ!
          観音堂のすぐそばの道ばたには、「おいげさま」という小さな祠がある。「おいげさま」は本来は、作神様だが、できものもよく治してくれる御利益があるそうです。
          今は、道路の拡張工事何伴い、葛原神社の境内の中に移されています。
          2012.03.20 Tuesday

          日下茂平の墓・屋敷跡

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            地図

            忍者日下茂平の屋敷跡と墓があります。
            昭和35年 村文化財指定

            民話:どろんの茂平
            茂平は貧しい農民の子として生まれ、大きくなると庄屋の屋敷へ奉公に出ます。
            庄屋には美しい娘がおり、二人は相愛の仲となりますが身分制の厳しい世ということもあり恋は成就せず、庄屋の激しい怒りに触れて屋敷を追い出されてしまいます。
            悲観した茂平は死に場所を求めて猿田洞という洞窟へ入っていきます。
            そこで天狗(仙人)に会い、佐川市之丞(いちのじょう)とともに修行をして多くの法術を会得しました。
            やがて、茂平らは近郷さらには高知城下の豪商・豪農から金品や米などをかすめとり、貧しい人々に分け与えるようになりました。
            そして、市之丞とともに高知城に盗みに入ったとき、酒宴用の酒に手を伸ばし、不覚にも熟睡してしまい、二人は捕まってしまいます。
            目が覚めると二人は縛られ、処刑されることに。しかし、首をはねられようとするまさにその時、
            茂平はどろんとねずみに化け、縄を食い切り、とんびに化けた市之丞に乗って空高く飛んでいきました。
            その後、二人はついに人々の前に姿を現すことはなかったということです。
            2012.03.19 Monday

            沖名の花採太刀踊り

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              地図

              神社名は、沖名八幡宮又は沖名正八幡宮とあり、太刀踊はこの宮に往古から伝わる踊りです。
              伝承では、別府彦九郎(嘉暦3年1328年頃の人、土岐城主)が、八幡宮の神前に武運長久を祈願し奉納したことに始まり、その後天文年間(1532〜55)に悪病が流行し、一条公の重臣権中将源朝臣兼視(親)は天下泰平、国土安穏を祈って社殿を改築し、村人にもこれを躍らせたのに始まったとのこと。昭和36年に県の無形民俗文化財に指定されています。
              太刀とシデで踊り、入れ葉・シノギ・鎌倉山・清盛・忠臣蔵等の12通りがあり、それぞれに歌があります。
              毎年10月15日に沖名城八幡宮にて、地域住民が主となって行われています。
              2012.03.19 Monday

              宇佐八幡宮 花採踊り

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                地図

                宇佐八幡宮は、5百年ほど前、九州の宇佐八幡宮から伝えられたものだそうです。
                徳川中期に大暴風雨にともない山津波があり、八幡宮は井の口妹背口まで流され、仮宮を経て現在の鎮座地に至ったと言われています。
                この大暴風雨の後、悪病が流行し、多くのものが病に倒れた。宇佐八幡宮にこの悪病が平癒すれば、小踊りを奉納すると祈願したところ、猛威を振るった悪病もたちまち鎮静したといわれています。
                以来、悪病よけ、また五穀豊穣を祈願して踊られてきましたが、後継者の不足などの問題で、しばらく途絶えていました。
                2010年に地元の方々によって36年ぶりに復活し奉納されました。
                以後、毎年10月中旬に奉納されています。
                2012.03.19 Monday

                柏井の石切場

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                  ナウマンも見た!うわさの石切場
                  地図
                  日高村には、石垣をついた家が多い。
                  その石垣などに使った石を切り出していた場所が柏井にあります。
                  石の種類を見てみると、同じような石で石垣があちこちで作られています。
                  石垣の石の色や含まれているものなど、よく見てみましょう!
                  2012.03.19 Monday

                  宇井のエンコウ像

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                    地名に残るエンコウ伝説
                    地図

                    伝説でエンコウが悲しい(憂い→ウイ)と泣いたから宇井という地名になったとか、
                    馬の手綱に引っ張られて赤はげになったから、赤剥げ橋であるといった面白い話が残っています。

                    昔の日下川はとても綺麗でいたるところで泳げたという話が残っていて、
                    ここ宇井橋の周辺も美しい渕であったようです。

                    人々は、エンコウがでるという淵をおそれて石の地蔵を建てました。
                    時を経て今は写真のようなエンコウ像が建っています。
                    そして、毎年旧の7月10日には、報謝の行事としてエンコウ相撲が行われています。
                    2012.03.19 Monday

                    伊気神社と松岡酒造

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                       地図

                      伊気神社
                      境内には立派な椋(ムク)の木(樹齢は不明だが300年位との話あり)があり、面する村道の頭上を覆っています。
                      社殿は巨大なチャート石の上に作られており、この石はペルム紀(2億9千万年〜2億5100万年前)のもの。奥にある酒蔵は、三畳紀(約2億5100万年〜約1億9960万年前)の地質の上に立つ。
                      この間だけで数千万年〜1億年の地質的な時間の隔たりがあります。
                      このような断層から湧き出る、良質な地下水に恵まれて、辛口の松の緑というお酒を造っていました。かつては神社の前に、防火用水の池もあったそうです。

                      日高酒蔵ホール
                      最盛期には須崎市にも酒蔵を構え、年間180キロリットルを生産する造り酒屋でしたが、現在は酒造は行っていません。
                      酒蔵のすばらしい建物を後世に残すため、2004年には国の登録有形文化財に指定されました。
                      現在は、日高酒蔵ホールとして改修され、地域住民の方々が中心となって建物の保全活動やコンサート、イベント等で広く活用しています。
                      イベントでは酒樽のフタを利用した雰囲気のあるテーブルなども並べられ、カフェなどの出店もあります。
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